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国会議員の失言について海部俊樹編総理を辞める原因になった失言について2-1

2019年11月20日 [ 社会問題 自民党 ]
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(日本記者クラブにて)

 

皆さんこんにちは。

いかが、お過ごしでしょうか?

 

パート1の時は、民主党政権時代の、

懐かしい名言というか、

 

自民党からすれば、

ため息のつくようなというか、

 

あきれ返る言葉を

とりあげましたが・・・。

 

今回は、過去の自民党政権時の、

懐かしい名言を取り上げます。

今回は、

「重大な決意を持って」発言

パート1の時の、取り上げた民主党政権

の時の言葉とは、レベル的には

上ですが・・・。

 

是非、最後まで、

お付き合いください。

 

よろしくお願いします。

 

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それまでの状況とは別に誕生した「海部俊樹政権」

(海部内閣発足時)

 

お分かりになる方も、

いると思われますが、

 

第76代、第77代総理大臣

1989年(平成元年)8月10日から、

1991年(平成3年)11月5日

海部俊樹氏です。

 

何故、総理になれた?

当時、自民党には、リクルート問題で、

多くの自民党の有力政治家、

合わせて90人が、

 

リクルート・コスモス社の未公開株が、

大量に賄賂として、不正譲渡され、

 

この問題に影響を受け、

またそれ以前の内閣では、鬼門となった消費税を無理矢理導入し、

リクルート問題、消費税のダブル問題を抱えた影響により、

内閣支持率が3%まで落ち込み、

 

夏には参議院選挙で惨敗し、

これにより退陣した、

 

宇野内閣退陣まで、

⒉カ月位しかたたない状況で、

自民党的には、

疑惑を持った政治家を

総理総裁として表に出す事は、

国民が納得されないし、

(直帰の参議院選挙で、

自民党が大敗したのでこのままでは)

自民党が崩壊してしまう恐れがある。

 

そういった事情により、

 

当時の自民党最大派閥で、

一番力のある竹下派が、

「クリーンな政治家」という事

で担ぎ上げたのが、

 

自民党最小派閥の、河本派所属の、

海部俊樹氏です。

 

海部氏の師匠の、三木武夫氏

(第66代・内閣総理大臣)も、

クリーンな政治家として知られ、

この人も「クリーンさ」から、

総理大臣になれましたが、

田中角栄のロッキード問題による

失脚の後だった為に、

政治と金の問題

が騒がれる中での総理総裁

就任でした。

 

 

海部氏には、これまでの、

「総理になれる条件」は、

最低自民党三役プラス、大蔵大臣か、外務大臣経験者

 

でしたが、海部氏は、

文部大臣しか経験したことが

ありませんでした。

 

だれが総理に押し上げた?

となったら、当時竹下派・会長、金丸信氏

(自民党の最高実力者)でしょうが、

 

自分の派閥にはその当時、この状況で、

有力な総理候補がいないため、

 

弱小派閥で、15人程度しか

いない派閥で、

当時竹下派は、150人位いたため、

 

海部氏所属の河本派は、

竹下派の言う事を基本時に忠実に

聞くだけであり、

 

竹下派から可愛がられ、

三木氏が総理になれた時も、

 

「困ったときの三木派」

だったのです。

 

 

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竹下派(金丸信・小沢一郎)の操り人形だった海部政権

(当時のピーク時代だった

竹下派の中心人物である3人

左から、金丸信、小沢一郎、竹下登)

 

自派閥から総理を出せなかったことで、

弱小派閥から、看板を変えて総理大臣を

誕生させた事により、

 

この政権は、竹下派

(主に金丸、小沢、)による、

操り人形内閣だったのです。

 

国会で海部氏が総理になってから、

閣僚の事には、

一切口出しをさせてもらえず、

 

小沢氏が一方的に幹事長になり、

国会内にある自民党幹事長室で、

自民党3役と閣僚を決めてしまい、

海部氏は、ロビーで待機され、

国会での海部氏が総理承認後、

5時間程で海部内閣は発足したそうです。

 

重大な決め事などは、

自分で判断せずに、

金丸氏や、小沢氏に

相談していたそうです。

 

アメリカの役人などは、

総理の海部氏に相談するのではなく、

直接金丸氏や、小沢氏に

相談していたそうです。

 

 

 

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自民党議員は、海部内閣を良く見ていなかった

(当時の派閥の会長、左から、

三塚博、渡辺美智雄、宮沢喜一

この3人が、海部政権のあとの

総理選挙を争うことになる)

 

海部内閣誕生には、

竹下派、出身派閥の河本派が

尽力しましたが、

 

その他の宮沢派、渡辺派、三塚派は、

反対していたので、政権基盤が

弱かったのです。

 

そういう事もあり、

 

閣僚を決める時などは、

各派閥の人員数と当選回数を見ながら、

また当時は、クリーンな議員を

選ぶなどして、

 

出来るだけ海部内閣を

まとめる為に上手く、

竹下派側でやっていたのだと思います。

 

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だが、しかし・・・

まだ世間には、

リクルート問題が残っている中、

「政治と金」

という事で、

「お金の掛からない政治」

という事で、参議院は、

昔も今も選挙方法は変わりませんが、

 

衆議院の選挙方法は、

変える事になったのです。

 

その選挙方法は、

 

「小選挙区比例代表並立制」

 

という事です。

 

この選挙制度は、単純に言えば、

今の選挙制度ですね。

 

そして、続きをこのまま

述べたいのですが、

 

続きは、申し訳ありませんが、

次回とさせていただきます。

 

一旦法案は、廃案となり、

これがきっかけで

海部内閣は終焉を迎えてしまいますが、

詳細は、次回記事での説明になります。

 

ここまで、お付き合いいただき、

ありがとうございます。

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