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プロ野球黄金時代のチームについて 今後の期待と出るかリーグV10の期待

2018年12月13日 [ スポーツ記事 プロ野球記事 ]
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(写真は、東京ドーム)

 

プロ野球ファンの皆様、

こんにちは。

いかがお過ごしでしょうか?

 

今回は、

「プロ野球黄金時代」

の事について取り上げ、

 

一時期続けて優勝していた

チームの事に関して取り上げます。

 

これを読んで、知っている方は、

懐かしいなあ、と思いだして

いただいて、

 

知らなかった方は、私のこの記事で、

もっと色々しらべていただいて、

 

もっとプロ野球の事、

物知りになりましょう。

是非、よろしくお願いします。

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目次

野村ヤクルト黄金時代

(写真は、野村監督、日本一の胴上げ)

 

1990年に、優勝出来る

球団にしたい、

 

その球団の考えにより、

通算本塁打第2位

 

南海ホークス、

選手兼任監督経験者、

野球の事は知り尽くしている、

 

野村克也氏に監督を要請し、

受諾し就任時、

 

「1年目で種をまき、

2年目で水をまいて、

3年目で花を咲かせる」

 

3年目には、優勝させると

公言した。

 

キャッチフレーズは、

「ID野球」データ重視、

 

春の春期キャンプでは、

練習終了後では、

毎日ミーティングをしていたのが、

テレビで取り上げられました。

 

又、キャンプでの野村克也監督

の行動、言動。

 

選手にどんな事を

言っているか?

 

選手の反応など、

取り上げられ、

これまでとは違うヤクルト

を印象付けられました。

1990年(5位 58勝72敗勝率.446)

 

開幕戦で、いきなり、

今でも、たまにテレビに、

でシーンがある。

 

巨人との開幕試合。

巨人の篠塚利夫(改名前)が、

先発の内藤から打った打球は、

ライトポールより、

右を通ったか、左を通ったか、

 

わかりずらかったが、

審判が本塁打としたが、

 

野村監督が猛抗議したが、

くつがえらず、本塁打になり、

 

それまでリードしていたが、

敗戦となってしまった。

 

(日を改めて、あれは、

ファウルと、審判側は認めた)

 

そのシーズンは、依然からの

ベテラン投手の怪我が相次いだが、

 

内藤尚行、ルーキー古田、

広沢・池山ら、若手が活躍し、

 

怪我人が戻ってきて、

若手が活躍したら、

面白いことになるのでは?

 

そうファンと首脳陣が期待

したシーズンだった。

 

1991年(3位 67勝63敗 勝率.515)

 

野村監督2年目に、

球団としては、11年ぶりのAクラス。

 

それまで捕手だった飯田哲也が

野村監督の選手の見る目で

外野にコンバートして、

それが開花して、

 

2年目の古田が、セリーグ初の

捕手での首位打者に、

 

広沢も打点王を獲る。

 

Aクラスに入った事で、

来期への期待が高まる。

 

1992年(リーグ優勝 69勝61敗1分勝率.531)

 

この年は、中盤に

西武から巨人に移籍した

大久保博元が、中盤に

大活躍し、首位に立つも、

 

それまで、しばらく最下位が

続いていた阪神が、中村勝広監督

の考えにより、2軍の若手で、

期待出来そうな選手を積極的に

使っていき、これがプラスになり、

阪神も戦前の予想に反して、

大健闘する。

 

ヤクルトにおいては、

そのシーズンから加入した、

ジャック・ハウエルが、

8月だけで、本塁打13

の活躍をして、月間MVP

受賞し、それが大きく

プラスになり、

ヤクルト悲願のリーグ優勝

となった。

 

(ハウエルは、

本塁打王と首位打者獲得)

 

日本シリーズでは、

西武優勢か?といわれたが、

第7戦までもつれたが、

残念ながら、日本一には

なれなかった。

 

1993年(日本一80勝50敗2分 勝率.615)

 

この年、高津臣吾が抑えとなり、

20セーブをあげる。

 

この年、伊藤智仁が

ルーキーイヤーで、

 

前半だけで。7勝2敗の

成績をあげる。

 

(新人賞獲得、その後、長期離脱)

 

広沢克実が打点王に輝き、

 

これらの事が、V2の礎となった。

 

日本シリーズでは、

昨年敗れた西武との激突で、

7戦までもつれたが、

 

日本シリーズ、

4連覇している西武を倒し、

15年ぶりの日本一になる。

 

1994年(4位 62勝68敗 勝率.477)

 

4月に古田が骨折の為離脱、

投手陣も不調のシーズンだった。

 

ちなみにこのシーズンは、

球団創立60周年の節目のシーズン

だった巨人が、10月8日に、

名古屋球場で、勝数も、試合数

も全く同じ状態で、

 

対中日戦が行われ、

勝利したチームがリーグ優勝という、

過去にはない試合が行われ、

 

巨人が勝利し、

4年振りのリーグ優勝をし、

 

日本シリーズでも、

宿敵西武を下し、

 

5年振り18回目、

長島茂雄監督初の、

 

「日本一の監督」となり、

巨人ファンにとっては、

 

大変喜ばしい年になった。

 

黄金時代にピークを過ぎた西武は、

森祇晶監督を解任。

 

オリックスのイチロー

(本名 鈴木一朗)

がブレイクするのも、

この年からだった。

 

1995年(日本一  82勝8敗 勝率.631)

 

土橋勝征がレギュラー定着し、

ブレイクする。

阪神から移籍したトーマス・オマリ-

千葉ロッテから移籍した

ヘンスリーミューレンが

本塁打を量産、

 

石井一久も二桁勝利を上げ、

リーグ優勝し、

 

日本シリーズでも、

オリックス相手に、

4勝1敗で日本一に。

 

この後、2年後の1997年に、

日本一になるが、

次の1998年、リーグ優勝ならず、

野村克也監督は、退任となる。

 

9年でリーグ優勝4回、

日本一3回は、

黄金時代と呼べるに相当する時代

である。

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落合中日黄金時代

(落合監督時代の中日ユニフォーム

オレ流ユニフォームらしく、

中日の独自色が強い

デザインだったが、

強い時代を作ったのだから、

「強い時代のユニフォーム」

としての印象が強い。)

 

 

落合が監督を受ける前は、

星野仙一から山田久志が

監督を引き受け、Aクラスには

入るが、優勝までにはまだ

難しいかな?という状態。

 

投手出身の山田久志が監督になり、

やや投手力のチームに

なってきたか?

というチーム状態。

 

他のチームの状態は、

巨人は、2001年にリーグ優勝

するが次の年は、3位になり、

原辰徳は、監督2年で解任。

(原黄金期まで、4年後)

 

次の堀内恒夫が監督になり、

巨人ファンは、

堀内監督に大きく期待するも、

2年間、優勝出来ず、

監督を辞めてしまう。

 

 

ヤクルトは、Aクラスには

入るが、優勝までは難しい。

 

横浜と広島は、暫く、

5位と最下位争い。

 

この頃、強いのは2003

にリーグ優勝した阪神位で、

後のチームは、特に

突出した強いチームはない状態。

 

その中、シーズン後半中に、

中日はAクラス確定なのに、

山田久志監督を、解任した。

 

そして、

「誰が監督になるんだろう」

 

みんなこの考えを持っている中、

「監督を落合博満にする」

 

この報道がなされ、

プロ野球ファンにとっては、

 

衝撃的でした。

 

そして、2004年のからのシーズン

から、監督になりましたが、

就任時に、

 

「2004年シーズン終了までは、

補給をせずに、(ドラフトは別)

現在在籍選手、10%向上させ、

その力でリーグ優勝と日本一

を獲る。

 

だから選手は、

今年一年間は、安心して

練習に取り組んで欲しい。」

 

と述べて、補給を、

巨人から川相昌弘、

ドミンゴ・グスマン

を獲得して、

補給をこの2人で

とどめている。

 

 

どの様な野球をしたいか?

この問いには、

 

「打線はみずもの、

練習したからといって、

試合では、どうなるかわからない、

守備は、うらぎらない。

だから、守備中心のチームにする。」

 

名古屋ドームは広いので、

それに目をつけて、

守備中心のチームとしたのです。

 

そして、2003年秋キャンプの事。

 

選手の練習風景を見たとき、

 

「あー、こいつら、

練習してないな。」

 

と見抜いて、

(又、落合のひらめき)

 

「来年のキャンプ初日に、

紅白戦をやる。」と。

 

選手が自主トレで

どれくらいやってきたかの

テストをしてみる、

そう述べ、選手達に

プレッシャーを与えました。

 

でも、この言葉は

表だった発言で、

 

本心は、2月1日までに

選手の体的に仕上げないと、

キャンプは連携の練習や、

実戦練習を

しなければならないので、

キャンプで体を作る所から

やっているようでは、

野手は開幕には間に合わない、

 

これが本心だった様です。

 

そして、落合中日、

初年度のキャンプで、

 

実際に紅白戦を実施して、

選手が、ある程度体を

作って、キャンプに入った

のがわかり、

 

落合監督も

合格点を出してました。

 

また、このキャンプ、

 

予定表の用紙に、

びっしり練習内容を

書いて置くものの、

 

落合監督は、ほぼ毎日、

白紙でした。

 

つまり、

「自由練習」です。

「お前たちで考えろ」

という事です。

 

この年のキャンプは、

とにかく12球団の中でも

1番多く取り上げられてました。

 

 

2004年 リーグ優勝(79勝56敗3分)勝率.585

 

4月を3位としながらも、

5月以降は、首位に立ち、

ペナントが終わって見れば、

2位ヤクルトとは、7.5ゲーム差、

落合博満監督1年目を、

5年ぶり6回目のリーグ優勝を

果たしたシーズンだった。

 

日本シリーズでは、西武に、

3勝4敗で敗れる。

 

2005年2位(79勝66敗 勝率.545)

 

4月こそ、首位ながら、

 

5月には、3位、

6月には、2位、

 

そこから、首位阪神

が強さを見せつけ、

そのまま首位独走し、

リーグ優勝する。

 

中日は、2位で精一杯だった。

 

この年は、それまで

長く最下位だった横浜が、

3位と健闘する。

 

巨人は、ローズや

清原一博の誤算もあり、

チームもバラバラになってしまい、

5位となってしまい、

堀内恒夫監督は

監督辞任、原辰徳が監督となる。

 

2006年 リーグ優勝 (87勝54敗5分 勝率.617)

 

6月に首位奪還し、

あとは首位を奪われる事なく、

リーグ優勝となるが、2位阪神との

ゲーム差も3.5ゲーム差と、

独走とまではいかないが、

落合監督、二回目のリーグ優勝

となる。

 

 

2007年 2位(78勝64敗勝率.549)CS 1位通過 日本一アジアシリーズ優勝

 

7月に、一度首位に立つが、

8月に巨人に抜かれ、

2位で、シーズンを終える。

 

だが、この年から始まった

CSで、巨人を破り、

 

日本シリーズに進む。

対日本ハム戦では、

初戦で敗退するが、

 

2戦目から全勝し、

53年ぶり2回目の日本一になる。

 

落合自身も、初の、

正力松太郎賞を受賞する。

 

2008年3位(71勝68敗5分勝率.511)

 

2009年2位(81勝62敗1分勝率.566)

 

2007年から、2009年までは、

巨人原黄金時代により、

リーグ優勝はつかめない

状態になる。

 

2010年リーグ優勝(79勝62敗3分勝率.560)

 

2011年リーグ優勝(75勝59敗10分勝率.560)

 

中日は、球団初の

リーグ連覇をするが、

 

球団幹部の中の「反落合派」が、

 

「落合では、観客動員数が悪い」

「落合は、ファンサービスが悪い」

 

だの、嘘の理由をならべ、

「落合外し」をやり、

「落合解任」にする。

 

さすがに落合の理解者の

白井オーナーもこの動きには

どうする事も出来ず、

落合解任に、「黙認」

となってしまい、

 

落合は、「中日黄金時代」

の最中ながらも、

 

理不尽に、監督を

辞めさせられてしまう。

 

これ以降、高木守道監督、

となるが、

チームを崩壊させ、

万年Bクラスチーム、

になってしまう。

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史上最強チーム 西武ライオンズ黄金時代広岡達郎監督~森祇晶監督時代

(森監督の胴上げ)

 

1982年位から10年以上にわたり、

パリーグには、

西武ライオンズ黄金時代が

到来するが、最大の功労者は、

広岡達郎の前に監督をしていた

 

根本陸夫になる。

 

根本は、広岡が西武の監督

になる前の、1981年まで

監督して、その後に、

 

編成の最高責任者

(現在のGM)になる。

 

では、のちの

「西武ライオンズ黄金時代

のどの選手を獲得したか?」

 

に関してだが、

 

田渕幸一は、トレード獲得し、

西武で、現役最後を迎えたが、

この獲得も、根本の力によるもの。

 

松沼兄弟獲得も、根本が主導。

 

石毛宏典獲得に、大学卒業後、

西武関連会社のプリンスホテル

に入社させ、後に、西武入り

させた。

 

ドラフトで、巨人や、その他

4球団で争奪戦になった

秋山幸二を、大学進学の

噂を流した上で、ドラフト外

で入団させた。

 

伊東勤を、

定時制高校から、

所沢の高校に転校させ、

かつ球団職員として採用し、

翌年ドラフト1位で指名。

 

その他、

渡辺智男、

石井丈祐、

郭泰源

辻初彦

なども、根本陸夫による。

 

1982年、1983年と、

リーグ優勝し、

 

1985年から、

西武ライオンズ黄金時代

になる。

 

では、ここから、

述べていきましょう。

 

広岡達郎監督時代

1982年日本一(68勝58敗4分勝率.540)

1983年日本一(86勝40敗4分勝率.683)

特にこの年の日本シリーズは、

巨人との、シーソーゲーム

となり、7戦までもつれた。

 

1984年3位(62勝61敗7分勝率.504)

1985年リーグ優勝(79勝45敗6分勝率.637)

特にこの年の日本シリーズは、

バース、掛布、岡田

の重量クリンアップを持つ

阪神との戦いだったが、

日本一には慣れなかった。

 

この年から、1988年まで、

西武は、リーグ4連覇する。

 

 

この年を最後に、監督を、

ヘッドコーチの、森祇晶に

託すことになる。

 

森祇晶監督時代

 

広岡達郎監督時代で、

育てた若手選手が、

荒削りながらも、

ある程度成長し、

それぞれ活躍する。

若手のチームなので、

 

他球団からはうらやましがられ、

ファンからは、優勝の連覇

が期待される。

 

この時の主力選手

 

投手

東尾修

松沼兄弟

工藤公康

渡辺久信

郭奉源

 

捕手

伊東勤

大久保博元

 

野手

 

辻初彦

石毛宏典

田辺徳雄

秋山幸二

阿部理

吉武春樹

奈良原浩

 

※清原和博は、

森監督初年度デビュー

 

この時には、

これらの選手が存在している。

 

この時の西武は、

 

長打力は、

まだ乏しい為、

フォアボールなどで

ランナーとして出塁したら、

盗塁はもちろん、

バントや、相手投手の配球

を研究しておいて、狙い球を

みのがさず、ヒットにし、

または、エンドランで

効率よく点数をとり、

あとは投手力でなんとか

勝利に導くやり方。

 

弱点は、抑えの投手が弱い。

先発野手と控えの選手との

差がある。

 

本塁打を打てる選手が、

秋山くらいしかいない。

 

主力選手が怪我したら、

控えが、1枚も2枚も

劣る。

 

これが、弱点。

 

1989年に、

リーグ優勝を近鉄に

とられたが、この年は、

まさに、その弱点が出て、

 

正捕手の伊東が、

怪我で長期離脱、

 

終盤で抑え投手不足も、

ペナント終盤の「熱パ」

と呼ばれた時期に、

近鉄のダブルヘッダーで、

 

ブライアントから、

本塁打を打たれた原因などは、

 

抑え、中継ぎの投手力が弱い所が

そのまま露呈する形になった。

 

1986年日本一(68勝49敗13分勝率.581)

 

清原入団のこの年、

そして、広岡監督

辞任後を引き継いだ

森祇晶監督が、

 

リーグ優勝と、

日本シリーズでは、

先に広島から、3勝されるが、

4連勝し、日本一になる。

 

1987年日本一(71勝45敗14分勝率612)

 

日本シリーズでは、

対戦相手が宿敵巨人

という事もあり、

 

9回表、2アウト、

の場面で、ドラフトで

巨人から指名されなかった

清原が、泣いて、セカンドの

辻初彦から、なだめられる場面

がある。今でもたまにテレビにでる。

 

1988年日本一(73勝51敗6分)

 

ペナントでは、10月19日に、

130試合目での、

近鉄が敗退してリーグ優勝

が決まるという事が起きる。

 

(次の年の、10月19日は、

対近鉄ダブルヘッダーで、

ブライアントから、

2試合で、4本塁打をくらい、

西武の優勝は消える)

 

この年、昭和天皇の体調が

悪い事を考慮して、

ビールかけは中止、

祝勝会にかわる。

 

日本シリーズでは、

初星野中日と対戦するが、

4勝1敗で、日本一に。

 

また、3年連続で日本一になり、

名実ともに、「西武黄金時代」

と呼ばれる様になる。

 

1989年3位(69勝53敗勝率.556)

 

正捕手の伊東勤が、

怪我をして、ほぼ前半戦

を棒にふるい、ライオンズも

思う様な戦いが出来ないでいる

事が、後半に影響がでる。

 

その中盤から後半にかけ、

西武、近鉄、オリックスと、

三つどもえ状態が続き、

「熱パ」と呼ばれた。

 

毎日首位が変わったり、

状況によっては、

 

「今日は首位だが、

1日負けただけで、3位」

 

とか、

「引き分けになって、

順位があがった」だの、

 

そんな状態で、

見ている方は楽しいが、

 

「やっている方は、

気が気じゃない状態」だった。

 

 

 

最後は、やはり、

 

「西武優勢か?」

 

と思ったが、

10月19日に、

(前年、近鉄とロッテ

死闘を繰り広げ、

引き分けに持ち込み、

ロッテが近鉄の優勝を拒んだ日)

 

西武対近鉄戦

ダブルヘッダーで、

 

ブライアントが、

2試合で、4本塁打を放って、

 

2連勝に大きく貢献

しました。

 

「神様、仏様、ブライアント様」

 

とまで言われる活躍で、

近鉄がこの西武戦、

連勝で、パリーグは、

近鉄が優勝し、

 

西武は、優勝を

のがしました。

 

森祇晶監督が、

シーズン終了報告を、

堤義明オーナー(当時)

 

に報告し、

来年も監督をさせて欲しい

と述べたら、オーナーから、

 

「やりたかったら、やりなさい。」

 

冷たい言葉を言われる

シーンがたまに出てくる。

 

そして、この悔しさをバネに、

次の年から、

 

「西武ライオンズ、

パリーグ5連覇」

 

を達成する。

 

黄金時代後期のメンバー

(黄金時代前期からいる

メンバーは除く)

 

潮崎哲也

渡辺智男

石井丈裕

鹿取義隆

オレステス・デストラーデ

杉山賢人

 

佐々木誠

(ダイエーより、

秋山幸二とのトレード)

 

これにより、

投手力は、

 

潮崎、鹿取、

 

1991年から、

杉山賢人が入団すると、

 

西武サンフレッチェ

と呼ばれた。

 

打線も、大技も小技もこなし、

抑えの投手力も、大活躍し、

5連覇の原動力になった。

 

打線も、

「黄金時代前期」

 

とは変わって、

 

辻初彦を9番から1番に、

田辺徳雄を、2番に、

それまで1番だった

石毛宏典を6番にと、

 

それぞれ変えている。

 

 

1990年 日本一(81勝45敗勝率.643)

 

潮崎哲也のルーキーイヤー、

巨人から鹿取義隆の入団と、

抑え投手力が向上し、

 

打撃でも、前年度入団の、

オレステス・デストラーデが、

期待通りに本塁打を打ちまくり、

 

3番 秋山

4番 清原

5番 デストラーデ

 

このクリーンアップトリオ

3人で、本塁打を114本打ち、

 

デストラーデは、

本塁打王と、打点王の2冠

に輝いた。

 

この、

「西武クリーンアップトリオ」は、

パリーグ5球団から、

恐れられた。

 

このシーズン途中、

8連敗したが、

 

それを補う白星を重ね、

ぶっちぎりで

2年振りでパリーグ

制覇を果たし、

 

日本シリーズでは、

巨人との対決で、

 

予想では、

「西武優勢か?」

 

と伝えられるが、

「巨人も、ある程度は

やるだろう」

 

巨人の健闘も

見込まれたが、

 

西武の素晴らしい

・鉄壁な内野陣

・素晴らしい投手陣

・重量クリーンアップ

(秋山・清原・デストラーデ)

・石毛、辻、伊東、田辺、

などのしぶといバッティング

・捕手伊東のリード

・巨人打線の、手も足も出ない、

潮崎の魔球シンカー

・そして、ちみつな野球

完全にプロフェッショナル

状態の西武に、

 

巨人は、

どうする事も出来ず、

 

一気に4連勝され、

西武が日本一になる。

 

このシリーズ、

打線も凄かったが、

 

ルーキー潮崎のシンカーが、

巨人打線に、何も出来ず状態で、

 

特に4戦目の最後の打者

駒田は、投手ゴロになるが、

 

シンカーに全くタイミングが

合わず、やっとボールに

バットが当たった投手ゴロ

みたいに見えた。

 

1991年日本一 (81勝43敗6分勝率.653)

るの⁉️

この年は、郭泰源と、渡辺智男

の両投手の活躍が大きく、

 

打者では、デストラーデが、

前年同様、本塁打王と打点王

に輝いた。

 

だが、その他の主力選手の、

故障、不調に、思う様に白星

をあげられず、

 

終盤になんとか

リーグ優勝をつかんだ。

 

日本シリーズでは、

広島と対戦し、

「西武圧勝では?」

 

と予想されるが、

予想に反して、広島が善戦し、

7戦までもつれるが、

なんとか西武が日本一になる。

 

1992年日本一(80勝47敗3分3分)

この年は、ほぼ安定した戦いで、

先発、抑えが安定し、

石井丈裕が大活躍した。

 

打線も好調で、各選手が好成績

をあげた。

 

日本シリーズは、

野村ヤクルトとの一戦だったが、

前年同様、7戦までもつれたが、

なんとか日本一になる。

 

この年を持って、

デストラーデが退団し、

アメリカ大リーグに挑戦する。

 

1993年リーグ優勝(74勝53敗3分勝率.583)

 

杉山賢人が入団し、

鹿取、潮崎と共に、

 

「サンフレッチェ」

 

といわれた。

 

又、この年、

新谷博や、鈴木健などの

活躍により、なんとか

リーグ優勝をつかみとる。

 

日本シリーズでは、

前年同様、ヤクルトとの

対戦になり、7戦までもつれたが、

日本一をヤクルトに奪われ、

日本シリーズ3連覇で

とどまる。

 

この年、秋山幸二、

渡辺智男、内山智之

がダイエーに、

 

ダイエーから、佐々木誠ら

3選手が、西武にという、

3対3のトレードがきまる。

 

1994年リーグ優勝(76勝52敗2分)

 

数字上では、

西武圧勝的に見えるが、

投手を、先発組を、

一部中継ぎに回したり、

 

森監督が試行錯誤して、

勝利をつかんだ試合がおおく、

 

石毛も、年々成績が落ち、

なんとかリーグ優勝を

つかんだ年で、

 

日本シリーズでも、

西武らしさが

みられず、

巨人に敗れ、

 

森監督は辞任、

時期監督候補

石毛宏典は、

 

「現役を引退し、

監督になって欲しい」

 

との要請だが、本人は現役に

こだわり、西武を退団し、

 

ダイエーに移籍し、

工藤も退団し、

石毛同様、ダイエーに

移籍し、

 

「西武黄金時代」は、

 

終焉する。

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読売ジャイアンツ黄金時代

(巨人発祥の地

千葉県千葉市)

 

(最初にゲームをした場所

千葉県習志野市

12球団一、通算で、

 

リーグ優勝、日本一

が一番多いチームは、巨人で)

 

どの様にして、

この優勝回数を

重ねたか?

 

黄金時代に的を絞って

話していきます。

 

第1期黄金時代1936~1943年

 

「職業野球」

として始まった初期の頃で、

 

投手は、

沢村栄治、

(初代巨人エース)

 

ビクトル・スタルヒン

(1シーズン42勝の活躍。

巨人初代監督の藤本定義を尊敬し、

巨人以外の監督になっても、

その球団に在籍した

通算300勝)

 

藤本英雄

(プロ野球史上初の、

完全試合達成。

第2期黄金時代でも活躍)

 

中尾硬志

(左投げ。

ノーヒットノーラン3回達成)

 

どれもエース投手の面々。

 

野手は、捕手に、

吉原正喜(戦死)

 

川上哲治

(打撃の神様。

戦後の第2期黄金時代

4番打者。

第3期黄金時代の監督)

 

千葉茂

(第2期黄金時代でも活躍。

ポジションは2塁手。

巨人軍の中でも、

最高2塁手ともいえる。

打撃でもしぶとい打撃で

長く活躍した。

 

水原茂

(現役活躍期は短く、

徴兵され、戦後も、

シベリアに抑留される。

 

日本に帰国後は、

第2期黄金時代の監督)

 

中島晴康

(巨人初代4番打者で、

初の三冠王獲得。)

 

これらのメンバーで、

1936年から、1943年の、

戦争による中断前までで、

8度の優勝で、この頃を

第1期黄金時代と言われている。

 

第2期黄金時代1951~1959年

 

戦争で、

シベリア強制労働から戻って、

水原茂監督体制となり、

この後に訪れる

 

「第3期黄金時代」に、

負けず劣らずの戦力になる。

 

まず、投手陣がすごい。

昔は、今の様な

 

先発、中継ぎ、

抑えのダブルストッパー

 

などでなく、

先発、次の日、先発、

 

中一日おいて、中継ぎ、

 

次の日、抑え、

など、めちゃくちゃだったが、

この時の先発陣は、

5人もいた。

 

別所毅彦

(通算300勝投手、

南海からの引き抜き)

藤本英雄

(第1期黄金時代

から引き続き在籍)

 

大友工

(別所からの進言で、

下手投げにしたら、

大活躍する。

通算130勝)

 

中尾硬志

(第1期黄金時代からの在籍。

3回のノーヒットノーラン

左のエース)

 

松田清

(新人の時から活躍)

藤田元司

と、エース投手揃い

の面々で、

 

「1人1週間で一度の当番」で、

別所は、

「俺は中4日位で投げられる。

中5日も6日もあけたら、

勝ち星が取れなくなってしまう。

その勝ち星の取れない分は、

監督が、自腹で俺に

給料払え!」

 

とまで、述べたそうです。

 

そして、

 

正捕手に、

藤尾茂

 

野手に、

川上哲治

(この頃の4番打者で、

青バットの川上と呼ばれ、

「1シーズンで、三振が9」

という凄い記録をつくる。

「プロ選手初の200本安打」も、

川上が初めて達成した。

第3期黄金時代に、

 

 

負けず劣らずの成績を

残している。)

 

千葉茂

(第1期黄金時代に

引き続き在籍し、活躍する)

 

宇野光雄

(3塁手、5番打者)

 

与那嶺要

(1番、打者)

 

青田昇

(戦後、一時的に阪急に

在籍するが、巨人に戻り、

戦後の野球ファンに

喜んでもらいたいと、

ホームランを打つ練習をして、

長距離ヒッターになる。

川上の前の3番を打ち、

 

1番 与那嶺要

2番  千葉茂

3番  青田昇

4番 川上哲治

5番 宇野光雄

 

第2期黄金時代の

ベストメンバーとなっている。

 

この黄金時代で、3回の日本一、

 

リーグ優勝8回に輝いており、

 

その当時のボールの質の悪さや、

戦後まだ間もなく、

食料事情もまだ良くない!

この時代に、

これだけの成績を上げたのだから、

「第3期黄金時代に

負けず劣らずの強いチーム状態」

 

といえます。

 

実は、

「カツカレー」

の生みの親は、

千葉茂なんですよ。

 

飲食店にやってきた千葉茂は、

時間がなく、頼んだメニューは、

 

「カレーの上に、カツを切って

出してくれ。」

 

この様にして食べた事

がきっかけだそうです。

 

以外ですよね。

 

話はずれましたが、

それでは、ONが活躍した、

 

「第3期黄金時代」

に行きましょう。

 

第3期黄金時代1965~1973年

 

投手 堀内恒夫、高橋一三、

城ノ内邦雄、金田正一、

中村稔、宮田征典、など

 

野手  森昌彦(祇晶)、王貞治

長島茂雄 、土井正三、黒江透修、

高田繁、柴田勲、国松彰、吉田孝司

など

 

川上哲治は、

1961年に監督就任しているが、

V9が始まる1965年までは、

リーグ優勝2回で、

この状態にいらだち、

大リーグからの細かい戦法や、

サインを出す、などの方法

をやりはじめ、

 

打線は、

「つないで、どうONに繋ぐか」

 

守りは、

捕手の森昌彦(のちの祇晶)

の野球センスが素晴らしく、

守備では、監督の川上が

絶大な信頼をしていた。

 

これにより、

1965年から、1973年まで、

9年連続リーグ優勝、

その時の日本シリーズ

9年連続で日本一になっており、

 

その時代を、「V9時代」

と呼び、当然、今でも

この記録は、破られていない。

 

この当時の現役選手に、

監督、コーチを経験する人も多く、

今のプロ野球の基本となって

いる部分も多い。

 

V9時代が終わると、

川上も監督は退任し、

 

チーム状態も、

若返りをもとめられ、

 

長島茂雄が監督になるが、

 

初年度は、球団初の最下位、

 

戦力補給をして、

2年目3年目にリーグ優勝

するが、

 

その後3年間は、

優勝を狙いつつ、

若手育成にも努力するが、

 

優勝はできず、長島は監督を

(前任監督の川上の計略で、)

 

解任させられ、藤田元司

にしてしまう。

 

第4期黄金時代2007~2013

 

3つの素晴らしき

黄金時代に比べれば、

少し劣るかもしれないが、

2006年から2度目の監督就任した

原辰徳が、2007年から、

2013年の7年間で、

5回のリーグ優勝と、

2回の日本一は、

 

昔に比べれば、

巨人人気も少し落ち、

優秀選手は、

アメリカ大リーグに移籍する

などしている現在の

プロ野球情勢を考えれば、

この成績は、

 

「黄金時代」と言えます。

 

2016年から、監督を

 

高橋由伸に渡しましたが、

監督としては

 

「やることはやっている」

 

と評論家は言ってるが、

優勝できず、

 

2019年から、

監督が原辰徳に戻り、

ペナント、日本一の奪還

を目指している。

 

現在の状況とこれから

 

(写真は、今年のソフトバンク

日本一の胴上)

 

セリーグ、

それまで

長く5位、最下位だった

広島カープが、

 

この間長く、辛抱強く

若手を育成に取り組み続け、

それが実を結び、

 

2015年から、2018年まで、

セリーグ3連覇しており、

 

「黄金時代か?」

とおもわせるが、

 

まだ日本シリーズで、

日本一を取ってないため、

 

真の意味での、

「黄金時代」とは言えない。

 

パリーグでは、

ソフトバンクホークスが、

 

 

2009年から、2018年までに、

リーグ6回、日本シリーズ6回と、

黄金時代状態であり、

 

西武や巨人の黄金時代は、

優勝連覇が途絶え、

監督が辞めてから、

チームが衰退したが、

 

ソフトバンクは、

育成もしっかりしており、

しばらくは、

(ソフトバンク黄金時代)

 

が続く様に感じる。

 

ただし、今年(2008年)

セリーグ優勝の広島と西武に、

 

FA宣言した選手もおり、

もし、他球団に多くの選手が

他球団に流出したら、

 

当然、リーグ優勝は厳しく

なる訳で、西武も広島も、

 

ストーブリーグから、

補強に関してどうするのか、

見物である。

 

来年は、1988年の、

「熱パ」と言われた状態を、

セリーグも、パリーグも、

 

なり、毎日白熱した戦いを

展開し、優勝するまで、

 

「ハラハラドキドキする」

という状態で、

 

「野球よりサッカー人気状態」

 

が逆転し、

「野球は、素晴らしい

スポーツだ!」

 

と思う人が多くなっていく事

を期待します。

 

という事で、この記事の

締めくくりとさせて頂きます。

 

大変長くなりましたが、

 

お付き合いいただき、

ありがとうございます。

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