生活のワンポイントアドバイス記事特集

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プロ野球投手のすごい決め球魔球を取り上げる。その投手の生い立ちは?

2018年09月02日 [ プロ野球記事 ]
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プロ野球ファンの皆様、

いかがお過ごしでしょうか?

 

皆さんの中には、

印象の強いピッチャーが

何人かいると思います。

 

たとえば、

「あの投手のストレートは一級品だ」

「あの投手の変化球は魔球だ」

「あの投手は、20年後でも通用する」

など、最低1人はいると思います。

自分にも3人の投手がいます。

 

ここでは、その3人の投手のことに関して、

取り上げていきたいと思います。

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伊藤 智仁(いとう ともひと)

伊藤智仁の画像 p1_14

 

1970年10月30日生まれ

京都府出身。右投げ右打ち。

花園高校から三菱自動車京都

1992年ヤクルトドラフト1位

 

ドラフト会議では、広島、

オリックス、そしてヤクルトの

3球団が1位指名で、

抽選の結果、ヤクルトが獲得します。

 

当初、ヤクルトは、松井秀喜を

1位指名する予定でしたが、

監督の野村克也が、

直前になり、

 

「伊藤智仁を1位指名したい」

と球団職員を説得し、

伊藤智仁を1位指名となりました。

 

ルーキーイヤーの1993年は、

ストレートは150キロ近く、

 

スライダーは真横に大きく切れ、

今の時代でも、見ないような

大きな切れのするスライダーで、

 

この球を決め球として、

前半戦だけで7勝2敗

防御率0.91の

新人として、好成績

をあげる。

 

伊藤智仁を知る人なら

わかる人も多いとおもいますが、

6月9日の石川県立野球場

で行われた対巨人戦でのこと。

先発した伊藤智仁は、8回

まで無失点だけだったものの、

9回に、篠塚和典にソロホームラン

を打たれて、さよなら負けをする。

 

その時、ベンチに戻る時に、

くやしさ故に、グラブを投げつける

という事もありました。

 

そして7月4日を最後に、

戦線離脱となりましたが、

新人賞を受賞します。

 

その後2年間は、

右腕の治療により、

試合に出れなくなります。

 

1994年5月19日の東京ドーム

での巨人戦で1050日ぶりに

一軍登録したが、

この年は14試合すべて救援で、

7月28日の登板を最後に

二軍落ちして、その後の

この年の一軍登録は

ありませんでした。

 

翌1997年は抑えの

高津臣吾が不調の為、

一時的に抑えにまわり、

以前の球のスピード、

切れが戻り、

7勝2敗19セーブ

の成績で、カムバック賞を

とります。

 

1998年は、先発と抑えを

こなし、6勝11敗ながら、

防御率2.72で、これは

セリーグ3位の防御率を記録する。

 

1999年から背番号を21

となる。先発ローテーション

に入り8勝を挙げるが、右腕

が故障となり、

右肩の手術となる。

 

この年以降は、思うような

活躍ができず、

2003年の10月に

球団の引退勧告を

受け退団し、翌年から、

2017年まで、ヤクルト

球団のコーチとして、

投手陣の指導となる。

 

2018年からは、

独立リーグの監督をしている。

 

表彰

・新人王(1993年)

・カムバック賞(1997年)

・月間MVP:1回 (1993年6月)

 

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潮崎哲也(しおざき てつや)

「潮崎哲也画像」の画像検索結果

1968年11月26日

徳島県生まれ

・プロ入り前

高校時代は、ストレートとカーブしかなく、

 

控え投手兼野手でしかなかったものの、

高3春の練習試合の時に相手試合の

投手が下手投げで、シンカーを投げる

のを見て、潮崎の高校監督から、

シンカーを覚えては?

との助言から、

シンカーを習得する努力をして、

その年の地方予選は

潮崎が投げ、決勝で敗れたものの、

投手としての成長し、

 

高校卒業後は、

松下電工に入社し、

自社保有の野球チームに

入団します。給料は

手取り10万位ながらも、

大好きな野球が出来る

ので、満足していた

そうです。

 

監督から素質を評価されて、1年目

から先発を任される。

 

同年のソウル五輪では、

潮崎は19歳ながら

日本代表に選ばれ、

得意球のシンカーが

威力を発揮して、

大活躍をして、

 

銀メダルを獲得している。

・プロ入り後

1990年のルーキーイヤーは、

抑えの鹿取義隆に繋ぐ、

「セットアッパー」の役割を果たし、

102回3/2を投げて、

123奪三振、防御率1.84

の活躍で、パリーグ会長

特別賞をあげた。

 

また、この年の日本シリーズ

で巨人と対戦したが、

巨人打線は潮崎から

手も足も出ない状況で、

西武日本一の原動力となった。

 

2年目以降も先発、そして

ロングリリーフが出来ることから、

先発と中継ぎ両方をやる機会が

おおくなり、一定の成績を残している。

 

1994年には、50試合登板し、

防御率2.39の成績を高く評価し、

年棒1億円に到達した。

 

2001年頃から、衰えが見え初め、

2004年には、球団から、引退を打診され、

引退する事になる。

 

引退後は、西武の2軍監督、

1軍投手コーチ、2016年は、

投手コーチを勤める。

 

2017年からは、二軍監督を勤める。

 

潮崎は、右サイドスローから投げる

145キロ位のストレートと、

120キロ位の下に沈むシンカーと、

スライダーで活躍した。

 

このシンカーは、サイドスロー独特の

球筋で、ボールを放してから、

上に上がり、そこから、右打者の

内側に落ちながら、曲がる

もので、カーブとは逆の回転

のする球筋である。

 

当時同じチームメイトだった

清原和博は、

同じチームで良かった。

違うチームだったら、

打てなかった、とのべている。

 

プレースタイルは、

打たれた日は、

特に落ち込まないように

していた。

 

表彰

・パ・リーグ会長特別賞(優秀新人賞)       (1990年)

・日本シリーズ優秀選手賞:1回 (1993年)

 

節目の記録
・1000投球回数:2000年4月30日、対千葉ロッテマリーンズ5回戦(西武ドーム) ※史上282人目
 ・500試合登板:2003年8月10日、対千葉ロッテマリーンズ21回戦(千葉マリンスタジアム)
  ・9回裏に3番手として救援登板・完了、1回無失点 ※史上72人目
その他の記録
・8連続奪三振:1990年7月5日、対オリックス・ブレーブス12回戦(西宮球場)
・オールスター出場:1回(1995年)

   背番号

    ・ 16 (1990年 – 2004年)

    ・86 (2007年 – 2010年、2013年 – )

 

 

 

 

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西本 聖(にしもと たかし)

 

1956年6月27日生まれ

愛媛県松山市出身

 

1974年にドラフト外で巨人に入団。

当時監督だった長嶋茂雄がシュート

「シュートだけで勝てる」

と言ってたそうです。

 

そうして西本は、3年目の

1977年に8勝を挙げ、

1軍に定着します。

 

1979年、ライバルとなる

江川卓が入団し、切磋琢磨

しあうことになる。

 

この年の8月1日の

対広島戦でのこと。

 

ふがいない登板で、

勝ち試合を負けに

してしまい、

 

長嶋監督から、

20発のビンタを

受けている。

 

1980年から

1985年まで、

連続2ケタ勝利を記録した。

 

1983年の日本シリーズ

では、西武ライオンズ戦で、

 

内野ゴロに数多く抑え、

敢闘賞を獲得した。

 

1987年4月10日

開幕戦の対中日戦でのこと。

 

今でも広く伝えられている

落合博満との初対決。

 

全打席全球シュートを投げ、

4打席1安打に抑えた

シーンは、いまでも

たまにテレビにでてきますね。

 

また、この時の中日の監督

だった星野仙一は、

いつか絶対に西本を獲得する、

 

そして1989年に中日に移籍後、

20勝で、斎藤雅樹と最多勝

のタイトルを分ける。

 

翌年も11勝を挙げるが、

この年以降は不振になる。

 

そしてオリックス、最後は

長島茂雄が監督が帰り咲いた

最後は巨人で、引退となる。

・ライバル江川卓とのエピソード

 

西本は江川をライバルにしていたが、

きっかけは、自分はドラフト外で、

つらい練習をして地位を築いたのに、

江川は巨人に入りたい一心で

巨人に入った。それが悔しかった

らしいです。

 

そして江川が登板の時西本は、

負けろと念じたそうです。

 

またキャンプの時のエピソードで、

江川と西本が隣で投げ込み

をしていた時、2人とも

いつまでも投げ合い、

300球以上も投げ合い

をしていたそうです。

 

これにはキャッチャーが

ぶちきれてしまい、

 

「いい加減にしろ、

あと10球で終わり」

と強制的に終わりにさせた

そうです。

 

そして有名なのは1980

年の沢村賞の事。

 

世論は圧倒的に江川の

情勢だったものの、

西本が沢村賞になり、

マスコミと江川は、

大変驚いたそうです。

 

それでは、西本の

生涯成績とピッチング、

見てください。

タイトル

・最多勝:1回 (1989年)

・最高勝率:1回 (1989年)

※当時連盟表     彰なし

表彰

・澤村賞:1回 (1981年)

・ゴールデングラブ賞:8回 (投手部門:1979年 – 1985年、1989年)

・月間MVP:2回

・カムバック賞(1989年)

・日本シリーズMVP:1回 (1981年)

・日本シリーズ敢闘賞:1回 (1983年)

最後に

いかがでしたか?

今回の記事は?

 

どの投手も、

大きく曲がる変化球ですね。

 

この3投手でしたら、

大リーグでも、

活躍出来たのでは?

 

と思いますが、

みなさん

いかがですか?

 

いまの現役の投手では、

田中将大の、

「スピリット」

 

だとおもいます。

 

また、この3投手の

変化球の切れを持つ投手

が、日本球界に、現れる事を、

楽しみにして、

 

今回の記事の締めくくりにします。

以上
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